何だか眠れないのと、すっかり闇に取り囲まれてるのとで、先日亡くなった旧友のことをつい考えてしまいがちになってる。
彼とは小・中学の間、同じ時間を過ごした。
中学ではお互い陸上部に所属してたこともあってよく顔を合わせてはいたが、一緒に遊んだりすることはあまり無かった。
そういえば彼はF1が好きで、彼が友人とメガドライブのF1サーカス攻略法をアツく語り合っていた光景が、何故か記憶の片隅に残っている
俺の中の彼は総じて温和な、たまにいたずら心が働く感じの、普通の男の子というイメージ。
中学卒業後はお互い別の高校へ進学したので、いよいよ疎遠になる。たまに地元で見かけては、少し声を掛け合う程度の間柄に。
最期に会ったのはいつだろう?
記憶も定かでは無い。
そんな彼の遺体が発見されたのは、今週の火曜であったとのこと。
長岡京市の、紅葉が綺麗なことで知られている寺の近くで、倒れていたのだという。転んだ拍子に頭を打ってそれきり…と聞かされたが、実際のところはわからない。
通夜の時もお棺は完全に閉め切られており、それが彼のものであると示すものは、ただ遺影のみ。そのせいかまるで現実感が無かった。
故人の遺体の損傷が激しい時などは、敢えて棺を開けず葬儀を進めることがあるというが、実際どうだったんだろう。
あるいは…実は自ら命を絶ち、その痕跡が見てとれるために、敢えてお棺を開けないでおいているのかも…なんてな風に推し量ってしまっている自分が嫌だ。
いずれにせよ、余りにも希薄な「死」の現実感を埋めんがために何をどう推し量ろうが「もう二度と彼には会えないのだろうな…」という予感というか事実というか、それが消えることはない…ということは判る。
人の死、絶対的な不在、やはり強烈な出来事だな…と思う。いや、強く思わせられた。
こんなことを、あと何度経験していくんだろう。そう考えて胸がじわっと重くなった。
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